古代エジプトの聖地〜セティ1世葬祭殿とオシリス信仰の地(エジプト・オーパーツ・遺跡・ピラミッド・歴史・エルサレム・メッカ)

古代エジプトの聖地〜セティ1世葬祭殿とオシリス信仰の地(エジプト・オーパーツ・遺跡・ピラミッド・歴史・エルサレム・メッカ)

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エジプト考古学者の河江肖剰です。 今回はエジプトの聖地であるアビドスに来ています。 このアビドスというところは 本当に非常に古い聖地であり、 現在でいうところのサウジアラビアの聖地メッカであるとか エルサレムですね。 そういったものに匹敵するような 古代エジプトの重要な場所でした。 ここにはもともと初期王朝時代、 本当にエジプトを最初に統治した ナルメル王とかアハ王とかジェル王とか、 そういった王たちの墓が あるんですけれど、 そのあと今度中王国時代、 今から4000年くらい前になると、 ここアビドスというのが冥界の神オシリスが埋葬された オシリス崇拝の中心地という風に認識されていくようになります。 そしてそのあと新王国時代の歴代の王たち。 特に有名なのがセティ1世、そしてラメセス2世が ここにやはりオシリスにまつわる神殿というのを建てたんですが、 観光客に今一般公開されているのは、 その内のセティ1世の神殿ということになっています。 非常に内部保存状態もよく、 今現在でも天井が残っており、 非常に薄暗い空間の中、 古代の雰囲気を醸し出しながら壁画の色が残っている 聖なる空間がありますので、 今日はここをじっくりと案内していきたいと思います。 本来ここには大きな塔門がありましたが、 今その第1塔門というのはもう完全になくなってしまっています。 下の方にヒエログリフ古代エジプトの言葉が 書かれてありますが、 大体神殿のこういったところに書いてあるのは、 この神殿の名前と、そしてそれを作った王の称号(タイトル)が ずっと書いてあったりします。 ここのところもともと作り始めたのは セティ1世なんですけれど、 その息子であるラメセス2世が 実際に建築というか増設というか 作り直しをしたというようなことになっています。 第1塔門を入るとここが中庭です。 大体神殿というのはまず大きな塔門があり、 その塔門の中に入ると中庭があるんですが、 ここまでは恐らく人々が、 一般の人々が来れたのではないかなと考えられます。 井戸なんかも残っていて、 実際に古代においてはここ 水が湧いていたんだと考えられます。 何年前かな? 結構前まではここ、 まだ水の跡みたいなのが沸いていたという風には聞いています。 私が最初訪れたのは1990…何年かな? 90年代の最初の方なんですけど、 その時には全然なかったですね。 ここから今度上に上にと神殿が少し盛り上がっていくような 形になっていますが、 中に入っていきたいと思います。 あとここから見てもちょっと分からないんですけど、 実はこの神殿ってL字型になっているんですよ。 非常に珍しい。 そちらからこういう形のL字型になった神殿、 これも1つ特徴的になっています。 では中に行きましょう! 今日はね涼しいです、って言っても何か 見た目暑そうですけど。 でも昨日とか一昨日に比べると、 随分涼しい気がする。 たぶん40°Cくらいしかないんじゃないかな? そして今から神殿の中に入っていきますが、 このセティ1世の神殿の特徴というのは、 もともとは7つの入り口と7つの至聖所がありました。 神殿というのは基本的にはなんですけれど、 1つの入り口があり、 そして1つの至聖所というような形になっています。 例外がいくつかあって コム・オンボ神殿には2つあったりするとかいうのもあるんですが、 ここはもともと何と7つです。 正面のところからですね、 今はこちら開いていますが、 別の入り口がずっと本来はあったんですね。 左の方から見ていくと、左これ面白いです。 ここはセティ1世が神格化し、 神の一員として祀られるようになっている セティ1世の至聖所に続く、 門扉があった場所です。 その横というのはメンフィス。 古代エジプトの商業の、商工の都市ですよね。 そのメンフィスの主神でもあったプタハ神。 そちらの方のここは入り口が、 そして至聖所がありました。 そして今度その横のところはヘリオポリス。 古代エジプトの太陽信仰発祥の地である 非常に古い神太陽神ラー、 これの地平線の姿であるラー・ホルアクティと呼ばれる神が ここのところには祀られていました。 そしてこちらは真ん中のところが エジプトの最高神であるテーベの主神 アメン・ラーになっています。 アメン・ラーの入口と至聖所。 そして横の方なんですけど、 ここのところはオシリスの入り口と至聖所に続くところ。 そして今度残りの2つというのが オシリスの妻のイシス女神と、そしてホルス神ですね。 彼ら(オシリスとイシス)の息子である王権の象徴であるホルス神、 この3つが同じようにあったんですけれど、 実際にはこちらのところ 塞がれているような形になっています。 塞いだのはラメセス2世です。 ただラメセス2世全部塞いだというか、塞げずにですね、 途中でこちらのところやめているんですけれどね。 この辺の何か中途半端にしているところも 実はエジプトっぽいんですけど。 古代エジプトなんか完璧なものを完璧に作るって イメージがあるんですけれど、 実際にラメセス2世がこれを塞がせている時に、 別のところに注力、何か力を注ごうとしたのか、 途中で放置してほったらかしにしているような状態になっています。 ただ彼自身はこのセティ1世の神殿というのが、 彼が訪れた時にはもともとオシリス崇拝として 非常にここは盛んだったところが荒廃してるので、 自分がもう一度こちらのところを再建させる為に こういったことを行ったというようなことを、 ちょうどそこですね、 ラメセス2世の塞いだところに碑文として書いています。 行ってみましょう。 分かるかなぁ? ここのところなんか(入口が)塞がれてますよね。 塞がれた上にラメセス2世がいて、 オシリス神、イシス女神、 そしてこちらのところは 彼の父親であるセティ1世になると思います。 そこのところに実際にこの荒廃した神殿というのを もう一度私自身が再建しましたっていう風なことが ここに書いてあります。 これは大奉納碑と呼ばれているんですが、 いかにしてこの神殿が自分の時代に荒廃していて、 それを自分が悲しく思い、 そしてそれを立て直すように命じたのかというようなことが、 ここには書いてある場所になります。 ラメセス2世。 では行きましょうの中に。 すごい荘厳な雰囲気ですねここは。 ここのところがオシリスの至聖所ということになっています。 神殿の中で最も重要な場所ですね。 真ん中はアメン・ラーなんですけれど、 この神殿自身はやはり冥界の神であるオシリスに捧げられています。 これにはやはり歴史的背景があって、 ちょうどこのセティ1世の前の第18王朝末期、 アマルナ時代ですよね。 異端の王であるアクエンアテン、 そしてその後アイ、ツタンカーメン、 こういったアマルナの王たちがエジプトを統治していた際に、 オシリス崇拝というのは禁止されていました。 実際これが戻るのはツタンカーメンの時で、 信仰をもう一度復興させようというような 活動が行われたのですが、 彼の父であるアクエンアテンは、 多神教から一神教 アテンと呼ばれる太陽円盤そのものに帰依したということで、 冥界、人々が亡くなった後、 もともとはやはりオシリスの崇拝があり、 人々が亡くなるとオシリスになるという思想がありましたが、 それを禁じたわけです。 そこで実際に人々というのは、 本当にたぶん、 大混乱に陥ったんじゃないかとも考えられます。 心情的に受け入れられなかった、 アマルナの革命というのが失敗した理由の一つというのは このオシリス崇拝が認められなかったからじゃないかなと、 私自身は思っています。 そしてそのオシリス崇拝というのを もう一度復興させようということで、 この聖地、オシリスの聖地アビドスに セティ1世がこういった巨大な神殿というのを建てさせ、 その神殿の中にオシリスの復活のレリーフというのを 描いているわけです。 オシリスそのものが最初にやはり復活をし、 死を克服した象徴的な神であるということで、 オシリスの復活がなければ 人々の復活というのもあり得ないわけですよね。 そのためにこの復活のシーンというのは、 アビドスのこのセティ1世の神殿の中でも 最も重要なテーマになっています。 あとですね、この辺を見てもね、 すごく壁画が綺麗なんですけれど、 すごいですよね。 こちらところ。 本当に美しい。 ここにいるのが実際のセティですよね。 セティ1世がいて、 そしてこちらの方にいるのが こちらはイシス女神でしょうかね。 イシス女神ですね。 イシス自身がここのところはセティ1世を膝に乗せて、 そしてあたかも自分の子供ホルスを あやすようにしている場面になっています。 あっそうですねイシスですね、そこのところ。 ほんとに綺麗ですよね。 このヒダとかのこういうところとかを見てもらうと、 この美しさというのが分かると思います。 何でしょうね、アマルナ芸術。 第18王朝末期の芸術というのは、 その最盛期においては非常に柔らかい 芸術というのが特徴づいていると思うんですけれど、 ここは芸術家がそういったものを伝統的なものと 何か一体化させているような、 そういったように見えるものですね。 非常に無機質な形には見えるんですが、表情なんかを見ると。 ただ色んなところにその芸術家たちの ちょっとした遊び心なんかが見えるのが、 このアビドスの神殿になってますね。 中に行きましょう。 ここがオシリスの至聖所になります。 この至聖所なんですけれど、 他の至聖所と同様に毎日行われる儀式のレリーフが ここには描かれています。 人々が去り、実際にそこで、 そういった儀式が行われなかったとしても描いている レリーフやヒエログリフによって、 その儀式というのが永遠に行われる。 そういった願いというのも込められていたのでしょう。 ちょうどですね、こちらのところを見ると、 この部屋に入るセティ1世の場面が描かれていますね。 ちょうどここのところなんですけど、 扉に手をかけているセティ1世がいるのが分かると思います。 ここのところは通称を開扉、 門扉を開けるための呪文という風なことが、 書かれています。 書かれてある内容としては、 『2つの天の扉は開かれた。 2つの大地の扉というのは解かれていく。 そしてオシリス神自身が彼の祠堂から現れる』 ちょうど目の前にいるのがこれがオシリス神になっており、 そのオシリス神の祠堂の扉に手をかけて セティ1世が入ってくる。 そういったシーンになってます。 下のところなんですけれど、 こちらのところは第5場面になるのですが、 ウラエウスの焼香を焚くところの 儀式について書かれています。 セティ1世自身が手に持っているのが、 これは香を焚くための道具になっています。 『汝の清めは上エジプトの王冠の清めであり、 その王冠は天の星へと届く。 汝の清めは下エジプトの王冠の清めであり、 その王冠は天の星へと届く』 そしてその呪文がずっと続きながら オシリスに対して香を焚いているという場面になっています。 続いて上の方を見ると、 ひざまずいているセティ1世が描かれています。 これは地面に指をつけて、 そして地面に接吻、キスをして、そして体を曲げる。 まさに今現在のサウジアラビアの聖地メッカの方に イスラムの人たちが体を屈めるような形で、 古代エジプトの人たちはオシリスに対してそういった 祈りを捧げていたということになります。 『我は地面に接吻し、顔というのを下げる。 マアトを主に向かって捧げ、 創造主であるオシリスに供物を捧げる。 汝が成せしことを成す神はなし。 オシリスよ我はあなたの前で天に向かって顔を上げることはなく、 不純なことは行いません』 というようなことを言っている呪文になります。 そしてこういった香を焚いたり、 扉を開けたりする1つ1つの動作に対しての 呪文が書かれてあり、 彼自身も実際に清め、王も清めを行って、 今は私たち靴を履いているんですけれど、 (当時は)神殿の中は土足厳禁ということで、 見ていただくとやはり靴を脱いでいる セティ1世の姿というのが描かれているのが分かると思います。 実際下の方の場面というのは、 第7場面になるのですけれど、 こちらのところは至聖所に入るための呪文ですね。 書かれてある内容としては、 『そこで汝を待つのは天の偉大なる者たちである。 彼らは空から来たものであり、 地平線から降りてきたものである。 汝はオシリスとしてその間へ入り、 そして森羅万象の主として現れる。』という そういったことが書かれてあります。 そして今度最後の第9場面を見ていきましょうか。 第9番目のところには、実際に祠堂に座るオシリス。 そしてオシリスの妻であるイシス女神がいて、 そこに香を焚くセティ1世の姿が描かれています。 これは偉大なる場所へ入るための呪文。 偉大なる場所というのは、この至聖所のことになります。 『神が平安であらんことを神が平安であらんことを』と言いながら 呪文が唱えられ、 『生ける魂はその敵を討つ』 御身のバァ、オシリスのバァですね、 魂とも訳されますが。 (御身のバァ)は、汝と共にある。御身と共にある。 そしてその御身の生ける姿、 「生ける姿」というのは古代エジプトにおける 彫像を意味する言葉です。 『その生ける姿は御身そのものである』ということで、 彫像はまさしく単なる彫像ではなく、 あなた自身であるというようなことを呪文で唱えている。 こういったことが48場面に分かれて描かれており、 そのうちのここでは46かな? いくつかのものが抜粋して 書かれているということになっています。 ここが冥界の神オシリスの至聖所です。 ここがオシリスの至聖所の裏に当たるんですけれど、 オシリスの複合体、 コンプレックスと呼ばれるところです。 6つの至聖所ほかにあるんですけれど、 それぞれの至聖所の奥というのはないです。 ただ唯一このオシリスの至聖所の裏にだけは、 ある種最も神秘的な、 そして古代エジプトのセティ1世の神殿における いわゆる秘技が行われた場所になっています。 ここはオシリスの再生と関わる儀式が描かれています。 ジェド柱という柱を立てる儀式です。 オシリスというのは神話の中で体がバラバラになって、 その後それがまたミイラ化されて、 死を克服し、再生した神になります。 そのためにオシリスの再生がなければ、 当然ながら人々の再生、王の再生もあり得ないわけですよね。 そのオシリスの再生非常に重要なんですけれど、 ここ分かりますかね? 柱をセティ1世がよいしょと立てていて、 それを助けているのがオシリスの妻であるイシスなんですが、 背骨みたいに見えますね。 これは古代エジプトにおける安定を意味する ジェド柱になっています。 このジェドという柱を実際に立てることで、 ここのところは立てた後、 服というか着るものというか布みたいなもの、 これを巻いているようなシーンになっています。 これもジェド柱を立てるお祭りの一場面なんですけれど、 その柱の立てる祭が場面ごとに、 行う儀式がずっと描かれており、 これを描くことで永遠にこの儀式というのが繰り返され、 オシリスが再生し、人々も同様に再生することが、 死を克服することができるという風に 考えていたわけです。 今現在は当然ながらもう既に神々が去って、 ここもう2000年以上になりますよね。 にもかかわらず、まだわずかでは、 いやたくさんかな? 神聖な雰囲気というのは 感じることができるのが この部屋になっています。 そしてこれが歴代の王の名前が書いている アビドス、セティ1世の王名表になります。 ちょうどそれをこちらのところに示しているのが、 この神殿の建造者であるセティ1世、 そしてここのところにいるのはセティ1世の息子、 恐らくここのところはラメセス2世じゃないかなと考えられます。 彼がまだ子供の頃ですよね。 王子であるラメセス2世に対して、 お前の名前というのもここに連なるのであるというようなことを 教えているんでしょう。 初代の王というのは、ここ「メニ」と書いていますが、 ここに書かれている人物、第1王朝の最初の王になります。 彼の墓というのがこのアビドスのもう少し北側にある 第1王朝のナルメル王の墓だと、 私自身はナルメル王はメニだと思っていますが、 その名前が書かれていて、 私の専門分野である古王国時代第4王朝、 その人たちの名前、王の名前というのも ここに書かれてありますね。 例えば書かれてあるのが、スネフェルとかクフとか ジェドエフラーとかカフラーとかメンカウラーとか、 76人の名前が書かれてある訳なんですが、 この中で書かれていないのは、 第18王朝のアマルナ時代の王たちです。 アクエンアテンというのは、 やはり多神教から一神教に変えたということで、 その異端の王たちの名前、アイ、ツタンカーメン、 ここは書かれていません。 あと女性で王になったハトシェプストというのも、 セティ1世にとってみれば 正統なる王位継承者ではないということで、 名前というのは書かれていないです。 これが王名表です。 このレリーフもアビドスの中で有名なんですよね。 こちらのところ ラメセス2世の名前が書かれてますが、 元々はやっぱりセティ1世自身が描いていたものを、 後にラメセス2世が名前を書き換えたものでしょう。 ここ息子、やはり王子がいて、 その息子が牛をちょうど捕まえてコントロールする、 これも儀式の一つなんですけれど、 (その儀式を行っている)セティ1世あるいはラメセス2世ですね。 描かれているヒエログリフの名前はラメセスですが、 手伝っているようなシーンになっています。 これによって正統ないわゆる王位後継者の力、 古代エジプトではファラオのことは 「力強き雄牛」と呼んでいたため、 その牛をコントロールするというのが 非常に重要な儀式の1つだったわけです。 じゃあセティ1世の神殿はここで終了なのですが、 最後にオシリスの空の墓、空墓と呼ばれる オシレイオンの方まで行きましょう。 こちらです。 なんか子供の物売りがいますね。 観光客が来ないから大変だろう、ここは。 [元気?] [あっちに挨拶してごらん] [ちょっと待ってて、いま仕事中だから] ここ今は閉まってるんですけれど、 オシレイオンというね、 オシリスの空墓、空の墓が、 ここのところに同時代のもので作られています。 これもセティ1世が作ったものです。 アビドスね、 本当に遠いところではあるんですけれど、 非常に神秘的な、本当に昔ながらの 神殿の中に漂うような雰囲気がまだ残っていますので、 ぜひこちらのところに来てください。 はいじゃあいきまーす! もうちょい下から行きましょうか。 じゃいきます3,2,1スタート! [元気?] [あっちに挨拶してごらん] ご視聴ありがとうございました。 これからもどんどん 良質な古代エジプトのコンテンツを 上げていきたいと思いますので、 引き続き… イイねボタンと、 チャンネル登録! よろしくお願いします!

2022-11-27 16:29

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