【完全保存版】大ピラミッド内部を大公開!観光では絶対に入れない場所にもカメラが入る 〜#2 河江肖剰の遺跡と謎を巡る旅(エジプト文明・考古学・歴史・遺跡・ミステリー)

【完全保存版】大ピラミッド内部を大公開!観光では絶対に入れない場所にもカメラが入る 〜#2 河江肖剰の遺跡と謎を巡る旅(エジプト文明・考古学・歴史・遺跡・ミステリー)

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ギザです! って感じですけれど。 (ギザに)到着して今日は、 ピラミッドの中の3次元計測ということで、 今から内部に入ってデータを取ってきます。 これまではずっと外側のデータを取ってたんですけど、 内側のデータと繋げて、 実際の構造を3次元的に明らかにしていこうと思います。 入り口、9世紀の太守アル=マアムーンが開けた穴。 あそこですね。 あそこから入っていきます! じゃあ早速ピラミッドの中に入っていきたいと思います。 ここが9世紀の太守アル=マアムーンが開けた盗掘用の穴ですよね。 行きましょう。 足下気をつけてください。 すごいですよね、ガタガタさが。 無理やり開けてすごい大変だったみたいですね。 火を焚いて、そこのところにお酢かけて、 ひび割れさせて、そこからまた削っていくという。 中にどれだけの財宝があったのかというと、 実際にはなかったみたいなことになっています。 映りましょう。 WORLD SCAN PROJECTチーム。 プロジェクトチームです! 3Dスキャン、3Dスキャン兼洞窟穴の専門家みたいな形でいきます。 ここから今度の中の上昇通路に上がっていきます。 アル=マアムーンがここまで開けた時に、 結局真ん中から開けて入ってきたんですけれど、 いくら開けても(空間が)ないんですけど、斜めになってますよね? それでたまたま最初に当たったのが、 ここの地下の間に続く下降通路というところなんですよ。 ここに通路を彼らは見つけて、開けて、 中の地下の間というところまで続いていたんですけど、 結局そこのところに何もなかった時に、 下降通路の天井を調べると 1つだけ花崗岩でできたフタみたいなものがあって、 それを壊そうとしたんですけど壊せなかったので、 バイパスみたいなものを設けて、バイパスを作って、 この上にさらに通路があるというのを見つけて、 上昇通路へと入っていったと。 そのバイパスがちょうどここ。 分かります? 下降通路と繋がっていたものなんですけどね。 花崗岩があるので、ちょっとライトを当ててみますね。 こんな感じですよね。 これが穴で開いてたものですよね。 これを上から落として、実際に盗掘を防ぐような穴になっています。 ここから早速上の部屋へと入っていきます。 ということで、大回廊。 到着してます。 すげぇですよねこれね。 (高さが)約9メートルのところですね。 行ってみましょう。 この大回廊が何のために建てられたのかというのは、 ほんとまだまだ色んな議論があります。 持ち送り式という、ここ。 ずっと狭くなって、 重量というのを拡散することになっているんですけれども、 スネフェル王の時代からつくられたこの様式というのが、 こういった形でものすごく大きな、 ここであれば高さ8.7メートルですよね。 約9メートルぐらい上の。 長さが何メートルだったかな? もう今上がってきて忘れましたけれど、 30メートル以上ですよね。 こういった斜めの空間にした理由っていうのは、 本当に色々な理由、説が唱えられています。 もうちょっと行ったところに窪みがあるんですけど、 そういった窪みを使ってここに櫓のようなものを建てて、 二重の階段みたいな構造になっていたんじゃないかと。 あのあたり溝があるのは分かるかな? ずっと。 ありますよね、ずーっと溝が。 あそこのところに板がはまってたんじゃないかという説があったり、 あるいはここのところは石を運ぶための装置というのが 左右にそれぞれ付いていて、 それを用いて巨大な重い石というのを 運ぼうとしたんじゃないかっていう話があったりします。 今のところでもいわゆる定説というのがない状態が この大回廊ですね。 色々とここはデータが取られているんですけれど、 Vito Maragioglio、あとGilles Dormionですよね 彼らフランス・イタリア、 そういった人によってデータきっちり取られてはいるんですけれど、 3次元データというのがまだ公開されてないので、 それを今回データとして、 WORLDSCAN PROJECT、 ここと共同で取る形になっています。 行きましょう。 こういうところですよね。 ここのこの穴とか。 あとこっち側。 同じような形で空いてますよね。 開いているだけじゃなくて ここにも何かくぼみみたいなものがあるので、 構造がちょっとね、ユニークなんですよね。 3つかな?ここと、 こういう構造と横の構造と下の構造という この3つのくぼみが、 どういう形でなっていたのかということですよね。 面白いですよね。 まだこのパズル、私もこれっていう自分の説はないんですよね。 ちょっと色々データを取りながら考えてみたいと思っています。 これは何度か出てきていますけれど、 宇宙から降り注ぐ素粒子ミューオン。 このミューオンを検出する原子核乾板。 そちらが中に入っている形になっています。 彼ら(名古屋大学の森島チーム)もやっぱりこのコロナ禍の中、 なかなかエジプトに来れていないので、 それがそのまま設置され続けている状態ですね。 (どういたしまして) ここも当日限定でやっぱり観光客は入れるんですよね。 (内部の部屋)全部は入れないので玄室までは入れるんですけれど、 一番入れないのは…わかるかな? あそこの端っこのところに 階段じゃないなハシゴを設けられてますね。 あれが「重量拡散の間」っていう 玄室に続く道のところに、 今回ちょっと(特別な許可を得て)設置したものになっています。 あそこに今回特別、本当に特別な許可をもらって、 はしご設けて上まで行くような形になっています。 あそこも行きますよ。 じゃあ今から玄室「王の間」に入っていきます。 ここが王の間に続く道ですね。 今玄室に向かう途中の通路なんですけど、 これ分かりますかね? でっかい石がダーンって落ちそうになっていますけど、 これ「石落とし装置」ってやつですね。 本来ここのところにもやはりそういう石落とし装置があって、 盗掘の侵入を防ぐような造りにはなっていたんですけれど、 それが今はなくなってしまって、中の財宝あったんだろうな。 ミイラも奪われている状態です。 なか空っぽなんですけどね。 行ってみます。 これも約2年ぶりの玄室到着してます。 声響きますよね。 ここが大ピラミッドの心臓部となる 「王の間」ですね。 外側と違ってここのところ黒い石、 実際には赤色花崗岩ですけれど、 できているのはわかりますよね。 非常に硬い石、 数百キロ離れたアスワンから持ってこられたもので、 表面が本当に綺麗に研磨されてますね。 同じ花崗岩で作られた王の棺としては、 初めての(花崗岩の)一枚岩の棺。 それがこちらになります。 (一枚岩ではなく)ブロック状に重ねたものはネチェリケト王、 サッカラの階段ピラミッドのところにあるんですけれど、 このような形で(花崗岩の)一枚岩を削った棺は、 クフ王が初めてになりますね。 ちょっと中覗いてみましょうか。 こんな感じですね。 面白いのはフリンダース・ピートリという人が 実際にこの辺を細かく測量した時に、 ここ分かるかなぁ…ここのところに傷跡があるんですよ。 ああそうそう!ちょっと斜めから私もやると、 ここ削れているのわかります? 加工痕みたいなもの見えると思いますけど、 こういったところから実際に円形状の、筒状のもので、 それをぐるぐるぐるっと回しながら砂(をかけながら) 押し切るようにして当てた痕というのはこういう痕ですね。 こういうのがやっぱり考古的にすごく重要な跡で、 こういった非常に硬い火成岩性の石というのを どのように古代人が加工したのかというのがわかるわけです。 ここのところ(加工に)関わった人数にもよるんですけれども、 左右を切りながら真ん中をくり抜いていくわけですけど、 1つの計算では9年ぐらい、 これだけでかかったんじゃないかという話です。 あとここを見てもらうと、元々はフタがあった跡。 ここはフタの跡で、ここにちょうど穴が開いているのがわかります。 こういったところに穴が開いていて、 フタがここのところではまって動かなくなっている。 これは盗掘対策の、盗掘を防ぐための跡ですよね。 こういったものなんかもちゃんと残っていたりします。 あとそちらも見てみましょうか。 ここなんかも角を見てみると、 実際に加工痕の跡が見えますよね。 ここわーと削れている。 これだからひっくり返してざっとここのところで 削っていた跡というのは見るわけですよね。 こういうのはおもしろいですよね。 本当に“Crime Scene Investigation (科学捜査)” これをどのようにして作ったのかというのを 考古的に解明していくというような作業になる訳です。 ただ実際に記録の中で、 ここに王の財宝があったのかどうかっていうのはわかっていないです。 有名な『アラビアンナイト(千夜一夜物語)』、 あそこの中にはここに財宝があったというようなことが 書かれてはいるんですけれど、 多分恐らくそれは描写から考えても 作り話、ある種のおとぎ話のようなことで、 それよりももっと以前に古王国時代、 ピラミッドが造られた時代があと、 大いなる多分大盗掘の時代が多分あったと思います。 「第1中間期」と呼ばれている エジプト国内が(統一以来)初めて乱れた時代ですよね。 そして面白いのがここですよね。 壁の端っこひび割れてんの分かるかな? ここがやっぱりトライアンドエラーの最たるものですよね。 こういった巨大な空間をピラミッドの中に作るということは、 やっぱり彼らにとっても非常にリスキーだったので、 ここの上に「重量拡散の間」という5つの櫓のような部屋を作って、 その上にさらに切妻の構造体を作って、 上からの巨大な重量というのを拡散することで、 この玄室を守ろうとしたんですけれど、 しかしやっぱりそれも彼らにとってはユニーク、 初めての試みだったので、 これ失敗してひび割れているんですね。 これは古代においてひび割れた跡です。 ひび割れた理由というのは、 これはやはり上からの重量と、 あとまた後で登ってみたいと思うんですけど、 その重量拡散の間の上の切妻の構造体が少しずれて、 それによって重量が適切な形で拡散しなかったっていうのがある。 あとこれは(直接的に影響しているのかは)ちょっと分からないんですけど、 実は南側の方が少しだけ沈下というか沈んでいるんですよね。 そういった複合的な理由でヒビが割れてしまったと言われています。 ただヒビは割れたんですけれども、 上のところなんかを見るとモルタルが塗ってあって、 そのモルタルを…古代のモルタルですよ? 見ることで、 実際にそのひび割れがそれ以上ひどくならないっていうのを、 彼らはモニタリングしながら、 さらに上に上に、 ピラミッドを積み立てていったということになっています。 本当に色んなところに色んな、何でしょうね。 彼らの知恵というか工夫というか、 そういったものが感じられたりします。 あとここも面白いです。 ここと、そして向こう側に穴が開いていますが、 これがいわゆる通気孔というものになってます。 これが古代の重要な星に焦点が当たっているということと、 そしてここの部分だけ何かこうバカッと壊れているんですけど、 ダイナマイトかな? それで爆破されたもので、 ここからなんと鉄の板が見つかってます。 これ現在大英博物館に置かれてあるんですけれど、 この時代まだ鉄の時代じゃないにも関わらず鉄が発見されていて、 それが約4500年前の(ピラミッド建造)当時のものなのか、 それとも近代、 近代というかそれよりももっと新しいものかっていうのは、 何回か科学的な分析というのをされているんですけれど、 まだちょっと結論が出ていない、 ある種のオーパーツみたいな形になっています。 その鉄の板っていうのも なんでこんなところに不思議な形ではまっていたのか。 ただ鉄というのは古代エジプトにおいて、 天からの金属、いわゆる隕鉄ですよね。 そういった重要な石だと彼らは認識があったので、 ここに星に焦点を当てながら そういったものをはめ込んだというのは、 あり得ない話ではないと思っています。 玄室でした。 すごいですよね。ここね。 「大回廊」 こんなところから重量軽減の間に入る感じです。 行きましょう。 狭っ! ここ昔の人たちが開けた穴って めちゃくちゃやな。 今日は砂まみれ。 昔の人もよくこんな感じで 登ってきてますよね。 考古学的には結構こういう グチャグチャ感が興奮したりするんですけれど、 とりあえず玄室の上の重量拡散の間1階まで、 入っていきます。 はいということで重量拡散(軽減)、 あるいは拡散の間の1番目に入ってきました。 ここはなんか電気なくて、狭いし暗いしすげぇよな。 こんな感じになってますね。 ここにもひび割れの跡が多分幾つか、 残って…あ~残ってる残ってる! ちょっと近づいてまた見てもらったらわかるんですけど、 こういうところにひび割れの跡があるんですよね。 古代のひび割れ。 傷付いてますね。 これが結構上まで入ってて、 ここのひび割れっていうのが一体いつごろ入ったのかという 論文なんか書かれていますけれど、 これはやっぱり古代に入ったヒビ割れですよね。 あぁ…… モルタルなんかを 塗っている跡がありますけれど、 面白い。 ピラミッドの中、 つくり方いろいろ見えますね。 ちょっともう少し向こうも見てみますね 綺麗に割れてるよなぁ。 こういうところ。 やっぱ本当にね、こういうの見ると、 何度も何度も言っているんですけれど、 人間臭さ。 いかに本当に当時の人たちが知恵と労力を使って ピラミッドを造り上げようとしたのか。 そこの中にはやっぱり挑戦と失敗があったのかっていうのが 分かりますよね。 コウモリさん…! コウモリさんですね。 コウモリいっぱいいるんですよね。 嫌ですね、コウモリね。 何か頭に絡まったりしたら恐ろしいですね。 たまに髪の毛長い人とね、コウモリが絡まって お互いにパニックになってたりしますけど、はい。 じゃあ上に登って行きます。 はい、ここが今度2つ目の部屋になります。 色々置いてあるんですけど、 これは名古屋大学の原子核乾板ミューオン。 宇宙から降り注ぐ素粒子ミューオンを検出する装置。 もう取られたやつもありますね。 データを取っているものになってます。 ここも狭いな。 結構色んな現代の修復の跡とか来てますね。 この上にさらに部屋が、 1、2、3,4、5ある感じになってます。 今日は全部5つ入っていきたいと思います。 こういう撮影をしていると、 昔の人は知っているかな? 「川口浩探検隊」ってあったんですけどね。 それを思い出しますね。 「初めて部屋に入ります!」ってね。 カメラさんは入ってるじゃんみたいな(笑) そういうの思い出すんですけれど。 入ってきました。行きましょうか。 ここの部屋、 久しぶりだな。 1837年 April 25ということで、 “NELSON'S CHAMBER” 「ネルソンの部屋」と呼ばれた 当時のものになっています。 すごいですよね。 ここからまたさらに上まで続いていますけど、 こういった落書きみたいなものは、 現代のものだけじゃなくて古代のものもありますね。 あそこの端っこもそうなので、 見ていきましょうか。 あ~これもそうですね。 あぁいいな。 これ逆さなんですよ。 分かるかな? こっちが上、こっちが下。 ここのところに古代エジプト語での 労働者のチーム名が書かれてありますね。 こういう落書き、私たち落書きって呼んでるんですけれど、 落書きが古代のものと現代のものが混ざっている形になってます。 さらに上へ行ってみましょう。 はいということで、今4段目まで来ました。 下から1段1段上がっている感じです。 この上が重量軽減の間の頂上になるんですけれど、 ここも面白いですよね。 こういう風に落書きがしてあるのは 現代のやつですね。 1837年5月9日… 今日何日だっけ5月9日?もしかして…。 違うか8日か、1日ズレてた! に入った時の名前が それぞれの部屋に全部名前が付いているんですけれどね。 それまでは大ピラミッド内部の玄室、王の間の上にこういった 小さなこれがあるというのはわかっていなかったんですけれど、 さっき見たように、 くぐってきたダイナマイトで開けた穴のところから、 次々に上に上にと部屋を見つけていったということになっています。 ここもね、やっぱりすごいですよね。 巨大な梁があるのが見えますけど、 多分この梁が一番デカいんじゃないかな。 本当にすごいですよね。 こういったところにも赤い線がありますよね。 こういうところ。 これが古代の落書きって日本語では言うんですけど、 グラフィティ (graffiti) というのは古代における 落書きの他にもうちょっといい言葉がないのかな。 落書きって通称を言われているんですけれど、 当時の労働者… 労働者というより労働者をまとめる書記とか、 そういった人が残した記録ですね。 実際にここまで切るとか、 ここから切ったあと日付を書いておいて、 その後下のところで一体どれくらい切ったのかという 石材量の把握とか、 そういったもの(石を)を切った後、 ここに運んでくる時にそれがそのまま残っているので、 今も見えるような形です。 これだから石切り場で切られた時に付けられるような 跡になっています。 面白いですよね。 ここのところも「セヘジュ」という風に書いてあるのかなこれね。 クフ王の時代のものであるわけですよね。 天井も面白いですよね。 天井も綺麗に… たぶん今回も(データを)取ってくれていると思うのですけれど、 こういう(石がズレた)跡。 ひびがもうちょっと下のところね、 さっき言ったところで割れてるという話をしていましたけれど、 この辺は(現在は)ギリギリ大丈夫なのかなぁ。 4段目です。 イテッ。 何か昔の探検隊の ドキュメンタリーみたい。 到着しました。 2015年にここはTBSの「世界ふしぎ発見!」で撮った後、 外国のテレビの方がここでちょっと大きなスキャンダル、 問題を起こして7年間ずっと閉まっていたのですけれど、 今回特別にここを開けてもらって、 7年ぶりにここに入ってきています 「重量軽減の間」 一番てっぺんになっています。 一番てっぺんもこういう風に切妻構造式になっていて、 上からの重量というのを拡散するんですけど、 わかりますよね? この辺を見てもらうと、 ここ穴があいてますよね。 ここはやっぱりね上からの重量なんですけど、 この切妻の構造体、 なおかつ櫓のような五重の構造体っていうのは、 完璧に機能したのではなくて、 ある種失敗しかけてるんですよね。 本来これぴったり引っ付いていたんですけれど、 それがこういう風に外れかけてしまっているという ちょっと恐ろしい状況になってます。 あと向こうの方を見ると、 今エジプト観光考古省がモニタリングとして、 そこ(隙間)のところに ちゃんとこれ以上幅が広がってないかっていうような 印みたいなものを付けているので、それも見たいと思います。 ここ面白いですよね造りとして。 他のところも見てきた通りに、 こういった 巨大な60~70トンの花崗岩の梁を使っているんですけれど、 梁が何か再利用したような跡になってますよね? こういう傷というか跡が。 こういった跡というのは、 これは古代においてここのところでブロックを切り出された跡です。 アスワンの石切り場、花崗岩の。 アスワンの石切り場の花崗岩の方から、 こういったブロックを切り出して、 で、その後上のところを特にならす必要はないので、 このまま切り出したままの状態で運んできて 梁として使っている形になっています。 何かね上のところ、こういうぐちゃぐちゃってなっているのは、 そういった理由になってます。 こういうものだけを見ても、 本当に古代人、人間が、 色んな当時の知恵を使って、 いかに合理的に作ろうとしていたかが分かりますよね。 ここなんかもそうですよね。 この後もそういう石切場で 加工しようとしていた跡、 ここでテコの原理で剥ぎ取ろうとしていた跡、 ここの上の部分ですけど、これを綺麗に研磨したり ならしたりする必要がないので、 (石切り場で切られて)そのまま持ってこられているという跡です。 で、ここの部屋に重要な1つ考古的な、 エジプト学的な印があるんですけれども、 このピラミッドがクフ王の時代に造られたという "Textual evidence"、 テキスト上の証拠というのが 奥にあります。 見てみましょう。 ここですね。 分かるかな? ここにカルトゥーシュ、 「クフ」と書いてますね。 ここのところクフ王のカルトゥーシュ。 ただこれはクフ王の名前そのものではなくて 「クフ・セヘジュ・アペル」と書いてあるんですけれど、 これはグループ名です。 当時の労働者っていうのは、 それぞれ王の名前をもらったグループ名というのがあったんですね。 例えばメンカウラーであれば、 「メンカウラーの大酒飲みチーム」とか 「メンカウラーの友達チーム」とか そういうのがあったんですけど、 この最後の「アペル」というのは、これグループを示す 古代エジプト語の言葉になっていますね。 ここのところ、クフの名前が書いてあるということで、 実際にそのグループの人たちがここであれば、 こちらは右側と左側、 方位でいうとこれは南と北になるんですけれど、 2つのおそらくグループに分けて、 そのグループが競うようにして、 それぞれ石というのを積み重ねていって、 その時に実際自分たちが作った時の証。 これは名古屋とかでいうと、 名古屋城の「刻紋」というのがあるんですけれど、 こういう石を自分の藩のところから持ってきましたという証で、 刻印みたいなものを刻んでいくという 日本で離れた時代でも、やはりある種 人間同じような感性を持って作っているというのが分かります。 ここが「重量軽減の間」ですね。 さっき言ってたその重量軽減を実際に、 今現在モニタリングしているのはここですね。 1986年8月9日かな。 ここのところで 実際にモニタリングしている跡があるってことになってますよね。 これによって、ここがこれ以上開いていないということです。 こういった方法というのは、実は古代においても行われています。 古代もこちらの所を作る時に、 一部壁がひび割れているんですよね。 壁がひび割れているところに古代人どうしたのかというと、 モルタルを塗って、 それ以上実際にひび割れないというのを確認しながら、 構造物を上へ上へと積み上げていったということになっています。 「重量軽減の間」でした。 それでは今回こちらの方から、 「地下の間」に行ってみたいと思います。 行きましょう。 ここね深いんですよめっちゃ。 市川さん! WORLD SCAN PROJECT。 今回のプロジェクトのディレクターです。 もうめっちゃめっちゃやりまくって頑張ってます。 ここでですね。 下ね、見えるか? ここ今から降りてきますよ。 ここが一番最初に作られた通路であり、 そして(地下の)部屋ですね。 これが正規の入り口まで繋がってます。 後ろのところが空間ちょっとね見えてますけれど、 降りてみます。 広いですね、意外と。 大回廊…大回廊じゃないや。 「重量拡散の間」に比べると、 柔術のスパーリングができるかも。 できねぇか(笑) 木村さんです。 《木村》こんにちは。 私のウェルシャフトとか、 メンカウラーのHoward Vyse(があけた穴)を撮影する時に、 命綱をしっかり保ってくれた 超プロフェッショナルな命の恩人ですね。 デケぇなこれ。 よくこんなん運び込んだな。 アッサラーム・アライクム(こんにちは)です。 大丈夫です、モロさんです。 「世界ふしぎ発見!」にも出てきた。 今回も調査を手伝ってくれてます。 《モロ》いや~光栄です。 何をおっしゃいます。 じゃあちょっとここを見ていきましょうか。 そしてこちら大ピラミッドの「地下の間」に入ってきています。 おそらくこの地下の間というのが、 ピラミッドの部屋の中でも最初に造られた 場所になると思います。 ここのところは未完成ですね。 地下の間というのはその名の通りに地下にあってですね、 見ていただいたら分かる通りに、 岩盤をくり抜いて造られているような形になっています。 そのためにこういったところを見ると、 これはまさに石を切ろうとしているような跡ですね。 何かこう凸凹状になっているんですけれど、 これ古代エジプトの石の切り方ですね。 溝なんかを掘って、 その溝のところから今度下の部分というのを 剥ぎ取ったりして、 石というのを採石していくんですけれど、 ここの場合はが石を採石するというのは、 実際に石を砕いても、除けてしまうというような形になってますね。 ただ今ずっと降りてきましたけど、ここから石を砕いて、 また上に運ぶというこの作業だけでも、 ある種非常に大変な作業であったと思われます。 この辺ね段ボールが置いてあって、 “DON'T TOUCH”って書いてあったり、 ここもすごいですよね。 こんな巨大なものよく運んできたなって感じですけれど、 これは例の “The ScanPyramids mission” ピラミッド内部でミューオンを計測する機材だと思います。 これを解体してここに運ぶというだけでも、 すごい大変な作業だったんでしょうね。 この機器の後ろ側に大きな穴が開いてます。 ここのところ、 何のためにこういった穴が開けられているのかというのは よくわかっていないです。 宗教的な目的で建てられた、掘られたんじゃないかっていう 話もありますが、 実際のところここもよくわからない構造にはなっています。 ここは地下の間ということで、 何か部屋としての機能があったのかというと、 ここから何か発見されているわけではありません。 そういった意味で通称はやはりこれは、 未完の放棄された場所だと考えられているところです。 ここ色んなところが未完成になっているのがわかるんですけれど、 こういった穴とか、 あとあそこにも実はさらに 奥に続く小さな横穴みたいなのがあるので、見てみましょう。 ここ中に一体何があるのか? 結構これも続いているんですけれど、 行ってみたいと思います。 では中に入っていきましょう。 こんな感じで…よいしょ。 削り跡とか、わからんな。 加工痕とか見えないな。 多少見えるけど、これはもう。 全然わかんないな。 よいしょ。 昔私、子供の頃は あんまり狭いとこ好きじゃなかったんですけど、 今は 全然気にならないですね。 お~行き止まりですね。 よいしょよいしょ。 よいしょよいしょ。 行き止まり~。 なんか書いてある落書きかな? 戻るしかないというバック。 バックで戻る。 (今回の調査は狭いところに入ってばっかりって言ってます) 到着~お疲れ様でした。 ここ何か拷問部屋みたいなところに 牢屋に捕まっているみたいですけど、 ここが「ウェルシャフト」と呼ばれるところで、 クフ王の大回廊の 北の端にあるところですね。 古代において王が埋葬された後、 その盗掘を防ぐために、 ここからまず大きな石を落として上昇通路を塞ぎます。 で、塞いだ上の人って出れなくなるので、 ここに小さな穴があって、ここを通って下まで行って、 下降通路というところから出るような形になります。 今ここのところで、 うちのスペシャリストがまずは 中を確認してきてくれている感じです。 このあと、私も入っていきます。 今回こんなのが多いんですよめっちゃ。 こういう感じですよね? 《木村》そうですそうですそんな感じです。 《木村》でも軽く下の方がいいかもしれません。 《木村》難しいですかね… 《木村》左はほとんど体預けても大丈夫です。 ウェルシャフト入ってきました。 なかなか機会がなかったんですけど、 ようやくこちらのところも入ることができました。 WORLD SCAN PROJECTさん特別に許可を取っていただいて、 中に本当に登山のように、 木村さんというプロフェッショナルの方のサポートがあって、 ようやく入れた感じですね。 やっぱり面白いですね。 よくこんなところを最終的に石を落として 古代エジプト人が(穴の)中に入って、 中から外に抜けていったなと思いますよね。 こちらの方としては、中の構造体を見るのが一番面白かったんですけれども、 ただ今はロープで吊るされながら(データを)取ったので、 じっくりと見る機会というのはなくデータを取るのに集中していたので、 後でデータを実際じっくり取って、 それを3次元にした後に、中の構造を見てみたいと思います。 もう本当に今回はこういうような形で人間の中を覗くようにして、 色んなピラミッドの普段は見られないような穴、窪み、 そういうところに入ってデータを取っています。 お疲れ様でした。 行ってきます! ここ行くの!?マジかよ… なるほど。こういう感じか。 あー、ちゃんと古代の 足場が付いてますね。 ロープが!ちゃんと付いてる! ナイス! このロープ信用して良いのかな… 足場も多分 古代のものだと思うのですけどね。 砂埃がヤバい。 防塵マスクを付けてるけど、 砂埃がぁ… ただいま! なるほど。 岩盤がちょっと脆くはなってましたけど、 上の方までちょっと見てきました。 いやー、これ下から掘ってたのかなって感じですね。 多分ある程度繋いで、 上の大回廊まで行ったんだと思われます。 お疲れ様でした。 今回穴入るのめっちゃ多っ! こちらの方なんですけれど、 ここが大ピラミッド、クフ王の大ピラミッドの正規の入り口になってます。 通常、観光客が入るところというのは、 ここから少し下側のちょうど大ピラミッドの中心軸にある 盗掘用の穴から入って、 ここは一般的には入れない場所になっています。 ただここもすごい考古的に重要な場所なんですけど、 これも日本のオリエント学会というところで少し発表しましたが、 切妻構造という構造見てください。 めちゃくちゃデカいですよね。 これもやっぱりここで見ないと、この巨大さは分かんねぇよな。 近づくと こんな感じですね、ここ。 デカいですよね。 これを生み出したのがクフ王ですね。 クフ王が最初にこの切妻の構造体というのを生み出して、 これによって上からの重量というのを拡散する方法というのが、 それまでの持ち送り式という 少しずつ少しずつ天井を狭めていく方法から、 もう1つ 三角形の巨大な構造体を用いて重量を拡散するという この2つの重量の拡散の方法が生まれたわけです。 これ以後、この切妻の構造体というのが第4王朝、 そして第5王朝のピラミッドには用いられています。 近年、ここから大きな発見があったのが “The ScanPyramids mission” 名古屋大学の森島さん。 私の同僚でもありますが、 彼のところのチームが発見した 未知の空間ですよね。 未知の空間のところは、 大回廊という巨大な回廊の上のところに、 それと同じ規模の巨大な空間があるという話を、 皆さんも恐らくNHKスペシャルなどで ご覧になった方がいると思います。 その他に、彼らが最初に見つけた構造というのが、 この実は裏に、何か空間、 部屋か通路か こういった空間があるということを見つけています。 ここで面白いのがここの構造体なんですけれど、 この構造体のすぐ下、 この裏側ですよね。 この裏側に空間があるのであれば、 構造体が空間を守っているというのが分かるんですけれど、 そうじゃなくて、 正規の入り口ってここなんですよね。 ここが正規の入り口だということで、 こんなに何で離れているんだという ちょっと奇妙なところがあります。 以前言われていたのは、 実はこことここの下側にもう1個別の空間が、 通路があるんじゃないかという風に言われていました。 つまり二重の通路、 こことそちら。 これはスネフェル王の屈折ピラミッドであるとか、 あとスネフェル王のメイドゥムのピラミッドにも、 実は今2つの空間と通路ですよね。 それが発見されているんですが、 それと同じような形で、 この後のカフラー王やメンカウラー王のピラミッドでも 2つの通路というのが発見されているので、 そういったものかなという風に私自身は思っていました。 ここに別の通路があるんじゃないかと。 ただ森島さんたちが見つけたっていうのは そこ(正規の入り口と切妻の間)ではなくて、 この切妻の構造体の裏なんですね、 非常に不思議なことに。 これが何故かというのが今現在でも 正直まだ分かんないですね。 ただ今現在はその理由というのは分からないんですけれど、 切妻のその構造体が実際どういう形で元々存在していたのかというのを 図ろうと、Reconstruction(再現)しようという風にしています。 これもねちょっと分かりにくいんですけど、分かるかなぁ? あの辺とか。 見えますかね? あれ構造体の一部なんですよ、あそこが。 ここにも実は切妻の構造体って 1つ大きなものがあれば、 別の形の構造体がここのところ層になってあるので、 物すごい大きな構造体がここにあったっていうのが分かっています。 すごいですよね本当にね。 ただ本当に何度も言うように、 まだこの構造体の造りと、そしてこの裏にあるであろう通路、 あるいは空間の相関関係というのは明らかにはなっていません。 この辺少しずつでも徐々にこの謎を、 解明していきたいなと思っています。 あともう一つ面白いものがあるんですけど、 なんとここに ヒエログリフが刻まれているんですよ。 これもね別のところで話はしたんですけれど、 あちら切妻の構造体の上の こちらの西側だな。 西の所分かります? ヒエログリフがあるの。 あちらのところにヒエログリフなんかが書かれているんですけれど、 あれは古代のものではなくて、 Karl Richard Lepsiusっていう 偉大なエジプト学者がですね、 こちらのところに書いた落書きなんですね。 当時の彼が仕えていた(プロイセンの)国王に対しての いわゆるなんでしょうね、 賛美というか、 そういったものがあそこの所には書かれてあるということになってます。 落書きをヒエログリフで! なかなかレベルが高いですね。 昔の学者。 あれもすごく面白い歴史の一部ということになっています。 ご視聴ありがとうございました。 これからもどんどん 良質な古代エジプトのコンテンツを 上げていきたいと思いますので、 引き続き… イイねボタンと、 チャンネル登録! よろしくお願いします!

2022-07-04 10:41

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